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未分類|2024.11.19

小学校までのわたし

両親38歳の時、当時としては高齢出産で私を産んでくれました。今では、それだけで両親の愛を感じてます。 父はURの職員でお堅い仕事をしていて、立川米軍基地で米国軍人の秘書の秘書だった母は、結婚を機に退職しました。でも、私が小学生になってからパートに出るようになり、寂しい思いをしたのを覚えています。5歳離れた姉には、とても可愛がってもらいました。
幼稚園時代、当時としては珍しく男の子で母の意向でピアノを習い始めました。どことなく線の細い感じで、おとなしかったです。
小学校時代、父の酒乱に怯えたり、過干渉な母には従順であったこともあり、大人しめで温厚で目立たない性格が強化されました。野球やサッカーをするような、活発な男の子とは違い、多少は外で遊んだりもしましたが、家の中にいるのが好きでした。習字を習ったことから、文字を綺麗に書くことに異常に拘ったことをよく覚えています。家族がいない隙を見計らって、飼っていたインコを鳥かごから出して、部屋中を羽ばたかせてあげてました。今思えば、自分が自由に羽ばたきたかったんだと思います。よく見ていたテレビは、銀河鉄道999、ハッピーエンドにならないところが好きでした。そして、良く読んでいた本、それは宜保愛子さんが監修していた「心霊百科」。この頃から、スピリチュアルな世界が好きだったんです。魚釣りは大好きで、何回も父に川に連れて行ってもらいました。小学校6年で八王子に引越し、半年くらい「いじめ」に遭ったこともあって微熱が続き学校を休んだこともありました。 アイドル好きだった姉が、ある芸能事務所に私の写真を送ったんです。そうしたら書類審査は通過したんですが、私は汚れた世界に入りたくないと言って拒否しました。変に大人びたと言うか、少し冷めていたところもあったように思います。いじめられがちな同級生には、よく頼られました、優しく接してあげました。

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